なこちについて

 
 

かのようにの外(のような)場所 

なこちは1軒の家であり、ひとつの場所です。
現実には、四国の「祖谷」というとても山深いところ、落合という急峻な崖地に開けた集落にある南向きの古い民家、または山小屋ならぬ "集落小屋" といってもいいような場所です。
 
ただ、これ以上具体的にどんな場所と説明すればよいのか、何を目指して運営しているのか、未だによくわかっていません。
これまでは、近しい人たちのたまり場として、その後は食堂・喫茶、あるいはイベントスペースなどとして維持、運営を続けてきました。
旅の途中にふと立ち寄られた方や、一時的に滞在した人も結構いました。
 
祖谷という場所は、いまでも(おそらくもう永久に)日本有数の交通難所で、もはや少子高齢化や人口減少という段階すら終えたほど過疎化の進んだ地域です。
ただこのような中にある一方、とにかくこの場所を管理、維持していくということには、なぜか強いこだわりとともに、使命感のようなものを持つようにもなっています。
 
イーフー・トゥアンというアメリカの地理学者が述べていることですが、かつてこの世界のあらゆる場所は、誰にとってもなんの場所とも言えるものではなく、ひとつの「空間」(スペース)だったはずです。
人はある場所に住んだり、見知らぬ土地を訪れたりして、そこでの様々な活動や実際の経験を経て、そこはその人にとっての固有の「場所」(プレイス)となる。
 
全くそのとおりだと思うのですが、なこちについては、実はその例外であり続けることにこそ存在意義があるのでは、と考えているのです。
いわば「かのようにの外」のような場所、「かのように」と考えられる一切の概念の外に流動性を持って存在し続ける、場所とも空間ともいえるところとして。
ふと祖谷の深い渓谷に広がる空間に現れ、時々刻々と姿を変えながら舞い踊るように漂い続け、いつしかふと消えてしまう霧のように。(そしてまたふと現れる)
 
なこちは、いつでも、誰にとっても(管理人も含む)一切の前提のない自由な思考と経験の得られる場所として、あり続けていきたいと思っています。
 
なこち LIFE SHARE COTTAGE
管理人 稲盛